こんにちは。
北海道池田町"元"地域おこし協力隊、現在は池田町議会議員のkuro隊員です。
日常会話は無意識的トレーニング
一人会社&自宅オフィスにしてわかったこと。
— kuro隊員 (@kuro_ikdcok) 2019年5月28日
稼働日で仕事はしてるけど、誰ともしゃべらず1日を終える日がある。
ジム営業日にお客さんと話す機会があるからまだいいけど、ホントに引きこもりと大差ない危うさ…!
↑に貼ったのはちょっと前のツイートで、最近はぼちぼち外での仕事が忙しくてそんなことはなかったのですが。
わたくしkuro隊員、地域おこし協力隊を卒業してから半年ほどが経ちまして。
なんとなく
人と話す機会が激減したな
と感じております。
別に会話しなくてもいいなら
極力したくない
のが本音ではあるのですが。
仕事でもプライベートでも、やはり会話スキル&コミュニケーション力(以下まとめてコミュ力)は高いにこしたことはない...はず。
ここ半年の習慣&生活の変化によって、コミュ力にも変化が見られたような気がするので書きます。
最近の日常には会話が少ないので、習慣を変えてみようって話!
ストレスレスとコミュ力低下
冒頭に書いたように。
わたくしkuro隊員、2019年3月末をもって地域おこし協力隊を卒業しまして。
それ以降、議員になったりREDPOINT(kuro隊員が代表を務めるボルダリングジム)を引き続き営業したり、先のことを考えて(超零細な)会社を設立したりしていたのですが。
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議会やボルダリングジムでの会話の機会は当然あるのですが、それ以外に一人で行う仕事が大幅に増えたということもあり。
環境がそう変わったのであれば、意識的に会話のチャンスに飛び込んでいかないと日常会話の機会が減るのは必然ですね。
そんな状況で半年近く生活してみたら
超ストレスレスだった
...ってのはわかっていたことなんですけど。
なんか
コミュ力まで下がった
ような気がします。
もともと決して高くもないんですが。
これってきっと、今までは生活の中で自然と積んできたのであろう日常会話のトレーニングができていないor不足しているからだろうか、と感じています。
毎日誰かと顔合わせてなんでもいいから話さないと、コミュ力という当たり前に活用してきたスキルも衰えていくのだな、と。
わたくしkuro隊員、そもそも特別おしゃべり上手ではありません。
むしろ苦手です。
最低限...というか必要時には人並くらいのコミュ力は持っているつもりですが。
で。
いざちゃんと会話をしなければならないって時に、ちょっと反応が遅れたり言葉に詰まるような自分が嫌なんですよね。
"人と話すのメンドい"と言う割には、"でもうまくできなきゃヤダ"と言っているようなものなので、自分でも多少は
気持ちわりぃな
との自覚はありますよ...。
潔くどっちかにしろや、とね。
で。
どうも最近、"うまく会話を運べないなぁ"とか"自分のテンポわりぃな"と思うことが増えたというか。
あくまでkuro隊員の微妙な違和感ですが、
なんかスッキリしない会話
になっちゃうことが微妙に増えたような、と。
会話が減ったことでストレスも減ったけど、必要な会話の時にストレスが増えちゃ意味ないよな、というか。
日常会話で常に100点満点を狙う必要なんてないんですが、70点くらいが増えてどうも収まりが悪いというか。
もしその原因が、年のせい
日常的な会話不足
にあるとしたら、ちょっと生活を考えないといけないと思った今日この頃です。
会話のリズムや方向性を考えるのが好き
人と話すことは基本メンドいと感じるのは事実なんですが。
いざ会話するとなると、その流れを感じて展開を予想するのはけっこう好きです。
好き...というか、習慣の一つというか。
相手が次に発するであろう言葉を想像して、"この会話はあっちの方向にいくのかな?それともこっちかな?"と勝手に予想するのが趣味なんですね。
予想の精度が特別に高いって訳ではないです。
それでも会話の相手が求めているであろう言葉が多少なりとも想像できるようになると、その逆もまたわかる訳で。
気持ちよく会話を進めたい時も、メンドいから早々に会話を切り上げたい時も、その習慣って重宝するものです。
仮に予想の精度が高くなればなるほど、場を盛り上げるムードメーカーだったり、チームを取りまとめるリーダーだったり、聞き上手だったりモテたり。
そのあたりの人と関わる資質にも繋がる要素ではないかなぁと考えています。
で、結局。
予想の精度を高めることで、リーダーやムードメーカーを目指すつもりなんて微塵もないのですが、現実問題として。
日常の会話
が減ったことで
予想の精度
も落ちたような気がするんですよね...。
それはkuro隊員的にはちょっと深刻な問題であって...。
つまりは日常会話不足って
バカにできねぇな
と感じた訳です。
ちゃんとトレーニングしておかないと、もともと話のつまらん人間はもっとつまらなくなってしまうな、と。
会話はトレーニングである
と、ここまで。
kuro隊員の会話不足によるコミュ力低下問題について触れてきた訳ですが。
今回この記事を書く前に、自分なりにその問題についてテキトーに考えたんですよ。
その結果、よく考えたら
会話ってすげーな
と結論しました。
小学生並みの感想で恐縮です。
会話って常に予想できないリアルタイムな意思表示の応酬なんですよね。
それが会社も学校でも街中でも、周囲に会話の対象となる相手がいる場所では突発的に発生してはその都度対応して。
単体でしか発生しないならまだしも、時には同時多発的に発生したり波状攻撃の如く発生する訳じゃないっすか。
そりゃあ100%の予想なんて不可能だし、予想の精度を経験でカバーするにも限度ってものがあるじゃないっすか。
それでもやっぱりコミュ力を多少なりとも向上させることが、仕事なりプライベートなりを円滑に進めていくためには一定程度は必要ってのが現実であって。
この人はどういう考え方をするのか?
この状況をどんな風に感じるか?
過去になんと言ったか?
...etc。
その目線を今まで以上に意識的に持てば、蓄積される経験もたぶん微増するんじゃないか、とか。
今までは苦手だった雑談やおしゃべりも、多少は改善されていくのでは、とか。
頭のどっかで
会話はトレーニングだ
って意識して日常的な会話に臨んでいると
コミュ力が効率よく鍛えられる
のではないか、と思った次第です。
ここまで書いてアレですが
まぁ当たり前の話
ですね。
たかが数か月だけ日常会話が減ったことで、そんな当たり前なことをダラダラ書いてしまいましたとさ。
最後に
ここまでコミュ力なんとかするわって話をしてきた訳ですが。
今回書いたのはただの日常的なコミュニケーションについて、であって。
意思疎通や交渉はコミュニケーションの上に位置する全くの別カテゴリなので、その線引きやスタンスにブレは一切ないです。
そのへんについての話はコチラ↓
ではまた(^O^)/