こんにちは。
北海道池田町の地域おこし協力隊、kuro隊員です。
さて早速第3部を始めますよ~。
前回の記事はコチラ↓
帰国、そして就職
いよいよ労働者に
楽しかったオーストラリア生活が終わり、地元の札幌市で仕事を探し始めるkuro青年。
何となく公務員になろうかという思いもありますが、試験は秋。今は冬。
それまでアルバイトだけって生活も物足りないような気がして、年度末に雇用契約を更新する契約社員として営業の仕事に就きました。
初めての営業マン
某TV局の委託先の会社でした。
といっても番組制作ではなく、放送電波の受信契約をとるのが仕事。
それを言っちゃうとTV局は一つに絞られてしまいますが笑
定期的に割り当てられるエリアをくまなく訪問し、受信契約をお願いしますーってヤツです。みなさんの家にも来たことがあるんじゃないでしょうか?
朝から晩までひたすら歩くので、野球部あがりのkuro青年でもけっこう疲れました。
数か月に1度、道内に出張有り。函館出張では飲み過ぎてボロボロでした。
基本給で手取り16~17万円くらいだった気がします。歩合も月によっては5千円くらい支給されたような。あれ、今のkuro隊員(30)と同じくらいだ。
契約社員とはいえアルバイト以外での仕事が初めてだったし、スーツを着て毎朝出勤することで「大人になった」ような気がしてました。
その年の秋に公務員試験に合格したので、すぐに退職。
札幌市職員
フラフラしてていい加減なkuro青年ですが、晴れて公務員になりました。臨時職員じゃありませんよ、正職員ね。
区役所の保健福祉課に配属され、介護保険の認定調査や障がい者手帳の発行が主な業務でした。外勤がある職場でよかったなぁと思いました。
福祉・介護関係では様々なトラブルがあります。ゴミ屋敷とか虚偽の診断書問題とかあったり。
配属当時の給料は...いくらだったかな?たしか手取り16万円くらいだったはず。
まぁ公務員なんでボーナスは年4か月ちょっとくらい支給されますし、安定です。
「寒冷地手当」なんて今考えると最高にありがたいですね。
採用当時20歳。とにかく週末と休日に遊びに行くことしか考えていませんでしたね。
もっとマジメに生きなさいよ、と言いたいです。無理でしょうけど。
有給取って北海道1周したり、ギターを弾き始めたのもこの頃だったような。
まぁそれなりに公私ともに経験を積めました。
公務員を辞める
そして3年勤めて退職します。残業しながらふと思ったんです。
自分の半分も働かない年配職員が自分の倍くらい給料もらって定時に帰ってるんだなぁ、と思ったら心底アホらしくなって決意しました。
辞める際には「お前正気か?」等々、ありがたいような大きなお世話なような数々のお言葉をいただきましたが、狂気正気でした。
自分に公務員のシステムは合わないと今でも思っているし、年功序列で慣例に支配された世界なんてクソ食らえだ、と。
退職時22歳。まだまだ若いですね。
ここからさらに人生が動き出しますよ。
超零細企業の営業マン
無我夢中で働く
公務員を辞めてスッキリしたので「0からのスタート」を勝手にテーマに掲げます。
何でもいいから面白い仕事をしようと思って、株式会社になりたての会社を見つけます。従業員は4名くらいだったと思います笑
入社時基本給13万円。ボーナス無し。社用車貸与だが駐車場代自己負担。
後にアップしますが結構アレな条件ですよね。
業種は伏せますが営業の仕事です。
もちろん業界素人のkuro青年ですが、仕事が純粋に楽しく夢中で働きました。
札幌を中心とした北海道エリア全域の開拓を担当し、会社の売り上げと従業員が増えていくのが面白くて面白くて。繁忙期は徹夜も当たり前で働いてました。
ちょっとした役職を持ちつつ、本州進出第1号の埼玉支店のオープンにも携わりました。もう激務&激務。会社の倉庫で寝落ちして、全身蚊に刺されてみたり。
結局、様々な事情により退職し札幌へ戻りましたが、昼夜問わず無我夢中で働くこと、前例が無い環境で成長していくことの喜びは大きな収穫でした。
退職時25歳。
そろそろ人生の方向を定めたいお年頃?
有名企業グループ会社の営業マン
理論に基づいた激務
運良く良い会社に拾われました。介護用品やリフォームを扱う営業マンです。
公務員時代に介護保険の業務を担当していた経験、前職でがむしゃらに働いていた経験が評価されての採用。人生何が±に作用するかわからないもんです。
有名企業を親会社に持つだけあって待遇もなかなかでした。
入社時基本給で26万円くらい。その他手当やボーナス有。
早出と残業合わせて労働時間は1日13時間くらいで、日中は本当に分刻みの仕事でした。
15分で訪問を終わらせたら7分移動、3分電話の折り返し、1分発注書を記入して、2分前に次の訪問に入る!
そんな計算が瞬時にできるようになりました。
営業手法や数字管理も徹底しており、当blogでも触れたKPIやPDCAはここで学びました。
営業成績は全国平均の前後をウロウロするくらいでしたが、一度だけ大型案件を受注して全国ランキング上位に名前が載ったり、新人営業マンコンテストでは2位だか3位に入りました。クオカードと記念バッヂをもらったような。
日々それなりにしんどいけど、このまま働いていれば人並みくらいの生活はできそうだな...と思っていました。
そろそろ結婚も考えたほうがいいかなぁとか。
決断
ま、結局退職するんですけどね笑
何となく「旅に出たい」という想いが生まれてしまい、もうここまでくると自分の価値観や人生観が世間とズレていることを確信しています。
「どうせ私は変人ですよ」と心の中で呟きながら退職。
退職当時27歳。もう後戻りはできないなと感じつつも迷いはありません。
さよなら一般社会!と思いながら気楽なフラフラ生活が始まります。
最後に
以上が第3部です。
次回いよいよ完結!
リゾートバイトという働き方で北海道中を見て回り、池田町の地域おこし協力隊として着任するまでを書きます。
ではまた(^_^)/~
※平成29年3月7日、全面的にリライト。