こんにちは。
元池田町地域おこし協力隊、池田町議会議員候補のkuro隊員です。
議員になりました
当選から丸一日。
— kuro隊員 (@kuro_ikdcok) 2019年4月22日
感無量って言葉はこんな時のためにあるんだな、と思いました。
かつてないほどの反響やメッセージをいただき、ホントに心身ともに引き締めて必死こいて頑張ります。
かつてないくらいに更新をサボっていた当blogです。
協力隊を卒業して早3か月弱、これまたかつてないくらいに自分の立場や環境が激しく変化したので、ネタは山ほどあるんですよ。
ボチボチとblogにも時間を割けるようになってきたので、再び書き始めますよ!
協力隊を卒業して議員になったよって話!
なぜ議員に?
これはまぁいろんな人に聞かれましたが...。
"(なんでいきなり)議員になろうと思ったの?"って質問ですね。
その話からしたほうがいいのかな、と。
ホントに更新が久しぶりなので、あんまり長文を書きたくはないんですがね笑
とりあえず、"いきなり"って訳ではありません。
"急に立候補することを思い立ってそのまま勢いで選挙に出たら当選したよ!"って話の方がkuro隊員らしいような気もしますが、今回はそんな感じではないのです。
かなりレアケース。
初めて議員になることを考えたのは、協力隊2年目の冬くらい...ですかね。
2年弱も池田町で仕事と生活をしていると、まぁそれなりに町の良いところも悪いところも理解できてくるもので...。
...いや、間違えました。
悪いところ
についての話を耳にする機会が特に増えてくるんですね。
えぇ、特に。
細かい話は書きませんが、やはり多いのが役場の批判。
その他、大小問わなければたくさんある批判・不満の中で、
議会(議員)への不満
というのが一定数あるように感じたんですね。
それに気づく前にも、冗談で"俺が議員になってこの町を変える!"みたいな話をしたことはあるんですが、あくまで酒の席での冗談です。
次の日には"そんなこと言ったっけ?"という感じのやつね。
で、いざ立候補を決意したのは...選挙のちょうど1年前くらいでしょうかね。
なので協力隊3年目の春くらい(たしか)です。
協力隊の肩書きがなくなると
3年目を迎えて、改めて自分の今後を考えた時に"よし議員選に出よう"と決めました。
卒業後も池田町に定住して生活していくだけなら、特に仕事を選ばないのでなんとでもなるよな、と当時は思っていまして。
ただ、普通に会社勤めをするつもりはあんまり無くて。
例え小規模でも自分でできるナリワイを辞めちゃうのはきっと楽しくないので、協力隊の任期中と変わらず複業としてボルダリングジムを運営したりblog書いたりして、時々アルバイトして...。
そんな感じで細々と自由に生きていくのかなぁ...と。
半分雇われ半分自分で稼いで、そんなバランスが現実的な着地点なのかと考えていたのですが。
と、しかし。
そこで"ちょっと待てよ"と気づいたわけです。
そのスタイルで働くのはいいんだけど、そうなると
貧乏暇なし
間違いじゃないか、と。
いやメシさえ食えりゃ何の問題も無いと日頃から公言してはいるけど、
地域おこしやまちづくりに関わる機会と時間
ってなくなるんじゃないかな、と。
それちょっとイヤだな、と。
結局は自分のため
協力隊の間は、なんだかんだ役場組織の一人なので自分の活動に関する要望を伝えたり、まちづくり系のミーティングなんかにもお誘いいただく機会に恵まれていました。
ただし協力隊という肩書きがなくなり、ただの"町内に住んでるor働いている元協力隊の人"になった時、行政に物申す機会なんてなくなるんじゃないだろうか、と。
それってどうなの、と。
協力隊の任期中には行政の根幹に関わるようなことはほぼなく、うすっぺらい活動ばかりしてきたkuro隊員ですが...。
それでも自分の意見を発する機会...というか立場がなくなるのは
きっとつまらない
と思ったのです。
いや断言できるか。
つまんねぇな
と。
陰で行政に対して"あいつらダメだよなぁ"とグチるのが嫌だったのです。
例えホントにダメだったとしても、それを嘆くだけで何も行動せず、ただただ定住したってつまんねぇな、と。
どうせ文句言うなら対等な立場=当事者として言いたいな、と。
(特に失うものもなかったけど)移住してこの町に定住するなら、もっと自分で刺激的にしていかなきゃならん、というのか。
結局のところは
自分のため
です。
もちろんそうなんですけど。
自分のため=自分のためだけではないですよ。
同様に町のためだけでもありません。
そんな言い方をすると誤解を生みそうな気もしますが...。
議員とか協力隊うんぬん以前に、あくまで"自分のためにすることが結果的に誰かのためになればいい"というスタンスがkuro隊員の根幹なので。
それは議員になっても変わりませんね。
当選できた理由
画像にある通り、まさかの2位当選を果たしました。
あと3票でトップ当選という奇跡笑
で、当選できた理由について考えてみると、大きく分けて3つほどあります。
32歳
言うまでもないことですが、一番の理由は
ヒゲ若いから
でしょうね。
他の当選者は全員、kuro隊員の父世代くらいの年齢なので...どう考えても30代前半は目立ちます。
若いってだけで期待される何かがあるのだと思います。
なお"もしかしたら十勝で最年少議員かなぁ"と思っていたのですが、他の町で25歳の候補者が見事当選したため、kuro隊員は"十勝で2番目に若い"議員となりました。
2位当選&2番目に若いという結果は、半端者のkuro隊員にはピッタリですね。
協力隊
次に。
これも大きな理由ですが
協力隊だったから
でしょうか。
もともとの縁故など全く無い状況で、多くの人に知ってもらえたのは協力隊としての3年間があってこそ。
活動の中で知り合った人たちから"(家族or職場etc一同で)応援してるからね!"と声をかけられたりメッセージをもらったり、今こうして文字にしているだけでウルっときちゃうくらいに嬉しかったですねぇ...。
決して大きな成果を挙げた隊員ではありませんでしたが...。
イベント参加や小さなコミュニティ活動、いくつかのお店&事業者のお手伝いなど、活動時間外=プライベートを割いてでも地域と接した時間の長さ。
それだけはちょっぴり誇りに思っていたりします。
新聞各社含め、活動の多くを取り上げていただいたメディアさんにも感謝です。
チャリ
で、最後。
自転車で選挙活動
したからですね笑
なんというか
お前それ狙いすぎだろ
って自分でも思ったのですが。
"若いし選挙にかけるお金はないけど町のために!"って立ち上がった若者にみなぎる強い決意と漂う悲壮感!
町を救う使命感!
若さを武器に頑張ります!
...みたいなキャラっぽいでしょ。
上に書いた通り自分のため&結果的に町のためって打算的な動機を持つ身としては"完全にキャラ違い"なので...なんだかウソのイメージをばらまいているようで気が引けました。
そもそもにして"名前を連呼するだけの選挙カー"が昔から大嫌いだったので、車を出す気は毛頭ありませんでした。
もっと言うなら選挙期間の1週間よりも、現職議員なら任期の4年間、kuro隊員なら協力隊任期の3年間で評価すりゃいいじゃないか、と。
過去の実績+現在の認知度+将来の期待値=得票数、であればいいだけの話であって。
"車を出していないから冷やかしだ"みたいな風潮は...正直理解できなかったですね。
...と、まぁあんまり選挙そのものへの不満を言うと脱線するので、とりあえず選挙カーを出さないで自転車(借り物)で町内を回りました。
もちろん自転車を停めて街頭演説も多数。
車からでも目に留まるように日頃から愛用している真っ赤なフリースを着て、通行量の多い道路を行ったり来たり。
"今日〇〇で走ってるの見たよ!"とか"自転車ってお前w"みたいな反響をたくさんいただきましたねぇ。
選挙運動で自転車にばかり乗っていたから、ここ数日車で移動していると"車持ってたんだねw"とからかわれる。
— kuro隊員 (@kuro_ikdcok) 2019年4月24日
車持っていない疑惑まで飛び出す始末です笑
最後に
ちょっと長くなったので、今回のメインである"なぜ議員に?"への回答を一言でまとめると。
"意見を言いたい自分のため&結果的に町にプラスをもたらすため"というのが、議員になろうと思った動機です。
議員の務めとして"住民の声を行政に届ける"というのがありますが。
ただなんでもかんでも拾い上げてぶん投げるだけじゃ意味がないので、議員としてのkuro隊員とベクトルが一致する声を"自分の意見として"伝えていけるような活動をしようと考えておりますよ。
...これって、議員になったばかりの頃は誰もが思うんでしょうかね笑
次の選挙に出るかどうかも未定ですが、つまらん議員にはならんように気を付けます。
おまけとして、不満ツイートでも貼っておきますね。
とっくに公の場での自己紹介は互いに終えているのに、本日は"議員と役場幹部職員の顔合わせ"という名目の飲み会。
— kuro隊員 (@kuro_ikdcok) 2019年5月13日
みなさんどんだけ合わせる顔を持ってるんだか知らんけど、まだ孤立するには早いので一応顔出さねばならない自分が切ないね。
ではまた(^O^)/