こんにちは。
北海道十勝地方池田町地域おこし協力隊、32歳になりましたkuro隊員です。
前回のつづき!
ちまちま書いているブログ。
— 黒田知樹 (@kuro_ikdcok) 2018年7月12日
ガチの本心シリーズを書こうと思ったら、ガチすぎて書き直そうと白紙撤回。
前編はそんな感じでえらい時間かけて書きましたが、後編もやっぱり時間かかってます。
例えPV数の少ない当blogでも、自分の本心を不特定多数に向けて誤解覚悟でブチまけるって結構難しいもんです。
しかし前編を書いて得た教訓は、"あぁでもないこうでもない"と書き直し続けて、結局は"もうこれ以上体裁整えてもしょうがねぇな"と半分ヤケクソ気味に投稿しちゃうから、考えすぎてもしょうがねぇやってこと。
あまり悩まずに本心シリーズ書いてくよって話!
前編から間が空いてしまったのでまずはコチラを↓
打算的であることの強さ
さて、前編で書いたように打算的に物事を考えられると色んなメリットがあります。
面倒な仕事を引き受けるけど同時に自分の評価をUPさせるとかだけじゃなく、他人を観察し、その動向に対するリアクションについて考えるクセがつきます。
この人は今何を求めているか、何を言えば喜ぶか、どんなプライドを持っているか、触れてはいけないポイントはあるかetc。
一般的な仕事の多くは、良くも悪くも人間同士のコミュニケーションで成り立っています。良くも悪くも、ですよ。
2018年現在の話なので、10年後...いや5年後には一般的な仕事の定義がどうなっているかは知りませんけどね。
人とコミュニケーションとって働いていくなら、自分にとって嫌なことをしてくる人よりも、自分を喜ばせてくれる人がいいに決まってるじゃないですか。それで仕事が少しうまくいく...というか自分がストレス無く働けるなら、打算的に誰かの役に立つことを徹底的に考えればいいのです。
今あなたが勤めている会社に対してさほど恩を感じていなくても、今日も明日も汗を流して働くのは、自分や家族のためじゃないですか。もっと直接的に言うなら給料=お金のため。
世話になっている社長にどんなに大きな借りがあったとしても"キミには貸しがあるから、来月から給料半分で今まで通りの仕事をこなしてくれ!"って通達されたら"ふざけんなクソ!"って思うじゃないですか。想像だけど。
どんな仕事でも見返りが自分に向かうようにしないと、結果的に損します。
会社が倒産したら、従業員のその後の人生まで責任なんて取ってくれません。それを覚悟というか認識していないと、"裏切られた!無責任だ!"と愚痴をこぼして責任を会社にぶつけるだけで、自分は何一つ救われないし成長しません。
だから打算的に自分軸で行動することは、何も悪いことじゃ無いと思うのですよ。この会社で可能な限りのスキルを身に付け肩書きをもらって、"いざという時にはすぐ転職できる人材になる!"と割り切っちゃえばいいじゃないですか。
それが今の時代の正解じゃないかとすら思えます。
ただし、それを口に出すか出さないかはちゃんと周囲を見てからにしましょう。誰かが転職の世話をしてくれそうなら口に出し、会社内から疎まれそうなら口に出さなきゃいい、ただそれだけです。
とにかく、あくまで個人的な意見ですが
打算的に生きましょうや。
その言葉だけでは自己中心的に聞こえるかも知れませんが、間違いなく自分のため、そして時として他人のためになります。
...もとい、他人のためになることもあります。
結果的に誰かの役に立つ
はい、やっと結論に至ります。
散々自己中心的な意見を書いてきましたが、何も"自分のため100%で他はどうなっても知らん"とか"ただわがままに生きていきたい"と考えている訳じゃありません。ただわがままなだけでは人に迷惑をかける、ってことはみなさん概ね異論ないですよね?
言いたいことは、あくまで自分のためにすることが、結果的に誰かのためになればいいよね、ってところです。タイトル通りで何のひねりも無く恐縮です。
周囲の面倒なことに対して無視を決め込んで、自分のためだけに行動して生きていくことは楽だし、それだけでも生きていける手段がたくさんあるのが今の世の中。Youtuberとかはその最たる例じゃないですか。もちろん誰でも可って訳じゃないですが。
行動・判断基準は"自分軸"であっても"打算的"に考えて行動していれば、"自分だけが得をする"とか"人に迷惑ばかりかける"ことはむしろ少なくなると思います。
前提条件として"自分が置かれた状況下にて最善の方向性を考え汲み取る能力"が必須ですがね。
"今日は疲れてるから残業したくない!早く帰りたい!"って自分のための動機で、チームの仕事を自分で全部片づけてしまえば、自分もチームメンバーも喜びます。
それが自分のためなら大して苦じゃないけれど、ただわがままだと認識されている人が"俺今日早く帰りたいから、みんな休憩カットしてでも定時で終わらせようぜ!!"なんて言っても"メンドくせぇなコイツ"と思われて終了です。その場がたまたまうまく回ったとしても、後に"アイツはわがままだから一緒に仕事したくない"とかの余計なトラブルを招きがちです。あぁもう想像しただけでメンドくさい。
とにかく「結果的に」誰かのためになりゃいいのです。行動の軸は自分、見返りも自分、でもなんか知らんけど誰かのためになってる。それくらいの緩い気構えというか。
勘違いしてほしくないのは、"どうしても無理なお願いをしなきゃいけない時のために日頃から努力して関係性を築いておこう!"とか"多少の失敗は許される愛されキャラになろう!"とかではないのです。
リスクヘッジ的な意味では、失敗した時のために打算的に行動するのも必要なんでしょうが、基本的には失敗しない前提で考えたいのです。
"失敗しないとか、失敗した先のことを考えていないなんて無責任だしバカだ"と言われても、特に反論はありません。だって失敗しない前提とかその前に、根本には"誰かの役に立ちたい"って想いがあるんでね。失敗して迷惑をかけたくないではなく、自分の成功(自分軸で行動し見返りも自分)が結果的に誰かのためになればいい、って考え方の話ですからね。
"失敗したらみんなに迷惑がかかるから、辛くても休日返上で頑張ろう!"とかは見事に他人軸の行動なので、そうじゃなくて。
"自分の評価上げたい(打算的&自分軸)から一人でも仕事進めとこう"→自分が評価されて(見返り)結果的にチームの評価もちょっと上がった(誰かのためになった)。
これが理想です。
地域おこしも一緒
さて、kuro隊員は地域おこし協力隊として、いわゆる"地域のため"に活動している立場の人間なのですが。
今まで書いた考え方は単に仕事に関することじゃなく、地域おこし協力隊としての活動に関しても同じ考え方で取り組んでいます。
そりゃさすがに対外的な名目は"池田町のため!"ですが、根本は"自分がやりたいと思うこと、楽しめること、定住するために必要なこと"が判断基準です。それ以外のことなんてお金もらってもやりません。
給料の発生しない活動なんて腐るほどあるけど、100%ボランティアで嫌々やってることなんてほぼ全くありません。スケジュールが過密すぎて一瞬イヤになることはあるよそりゃ。
お礼がお金じゃなくてご飯だったりワインだったり、運営しているボルダリングジムに客として来てくれたり、"彼はよく働く若者だ!"と口コミ(?)的なことを言ってくれたり、極寒の中でスノーキャンドル作成を手伝ってくれたりと、形は多種多様です。
見返りが金銭とは限らないのが、割と面白いんですよ。クドイようですが、kuro隊員はそもそも"楽しそうだから"とか"ここで働きっぷりをアピールしとけば仕事の一つでも紹介してくれるかな"とか、"自分のため”に行動してほんのちょっと誰かの役に立っているだけで十分満足なのに、更に色んな見返りをいただいている感じです。
そんなありがたい環境で活動していると、時々は
打算的で腹黒くてゴメン
と思うこともありますが、ただただボランティアに励み、定住に至らず町を離れるよりはよほどマシじゃあないかとも思うのです。
地方創生で町を豊かに!とか言うけれど、その根っこは住民の経済的な安定が不可欠。住民一人一人の財布が豊かじゃなければ、地域おこし的な活動よりも本業をまず頑張らねばって話ですからね。
恥ずかしながらkuro隊員は、特に先進的な取り組みをするとか雇用を産むとか、そんな大それたことはしません。と言うかできません。自分の能力、考え方、そして残りの任期を考えると、はっきり言って無理っす。
しかし協力隊としてナリワイを作り定住すること=自分の成功が、「結果的」に身近な誰かのため、ひいては町のためになればいいよね、と思っています。
どうにもまとまらないのでこの辺で...。
最後に
32歳にして、自分の本音を文章にするという行為がこんなに骨の折れることなんだと初めて知りました...。
このblogも誰に頼まれる訳でもなく、自分のために自分軸で書いているものですが、読んだ誰かのため...いや暇つぶしくらいになればいいやと思っております。結果的にね!
読み返すと書き直したい部分が山ほどありそうなので、乱文ですが敢えてそのまま公開しときます。いずれ気が向いたらリライトします。
ではまた(^O^)/