こんにちは。
北海道十勝地方池田町地域おこし協力隊、32歳になりましたkuro隊員です。
"自分のため"で何が悪い?
"ホームをレスした話"をblogで紹介した訳だけど。
— 黒田知樹 (@kuro_ikdcok) 2018年7月19日
あまり先人たちの言葉に"これ共感できる!"って言い過ぎると、いざ自分の本音を自分の言葉で書いた時、"お前それ○○の受け売りじゃん笑"って言われそうだから、早めに本音シリーズを書いてしまおう。
当blogを開設してから今までの1年半くらい(もうそんなに経ったのか...)、書き続けて342記事。
冗談っぽくオブラートに包みながら本音を書くことはあったけど、ストレートに本音を吐き、その根底にはこんな想いがある、という深い部分までは書かないようにしてきました。
変に誤解されるのもアレだし、正しく理解されたとてkuro隊員が変わり者であるのは事実なのでね。
あることをきっかけに、ちゃんと本音書いちゃお!と思ったので、早速第1弾!
本音を書こうと思ったきっかけの記事はコチラ↓
いわゆる"人並みの人生"をとっくに諦めたkuro隊員も、やっぱりこれくらい本音を豪快に曝け出そう!と思った次第です。
誰かの役に立ちたいという感情
驚く人もいるかも知れませんが、kuro隊員は割と自己犠牲精神が強いタイプです。
周囲の人たちがやりたくないような雰囲気の時は"自分やります!"と手を挙げられるし、何かに真剣に一生懸命に取り組んでいる人を見ると無条件で協力したくなります。
...今誰か、「ウソつくなよおい」って言わなかった?
他人のために何かしてあげたいって感情自体は、それほど珍しいものでもないように思います(むしろ大多数の人がそうであってほしいと願っているけど)。
対象となる"他人"との関係性にもよるけど、相手が親しい友人や恋人、家族なら、自然にそう思うよねって話です。
逆に嫌いな人のために何かしてあげたいとは当然思わない。それも普通の感情じゃないですかね。その度合いがどれくらいかは人それぞれだけど。
その感情を持っていたとしても実際に他人のために行動できるかどうかは、ここではひとまず別問題として...。
また、誰かの役に立ちたい=自己犠牲を伴って構わない、でもないですね。結果的にそうなってしまうことは多々ありますが。
意図を隠したフリには乗りたくない
例えば社内での会議中、新しい仕事が誰かに振られそうだけど誰も引き受けようとしない。誰かが名乗り出ないとこの会議終わらないのに、自分も仕事がパンパンで、引き受けても全うできる保証がないから手を挙げるべきではない。っていうか早く自分の仕事に戻りたい...。
って判断で手を挙げないこともあるでしょ?それも当然、正しい判断の一つだと思います。できもしないことを引き受けて、それで失敗したら誰も得しない。
あるいは単純に"仕事増えるのヤダ"って理由もあるでしょうよ。
なお本当に仕事が詰まっているのか、ただやりたくないだけなのかは意外とバレバレなので注意。忙しいフリをしてダンマリ決め込んでやりすごしたつもりでも、普段の仕事ぶりでだいたいバレてますからね。
kuro隊員が似た状況に置かれた場合、ほぼ間違いなく"やりますよ"って手を挙げる自信があります。
だって今みんな困ってるんでしょ?誰かが名乗り出ることが一番の解決策でしょ?じゃあ俺やるぜ!って。
...今誰か、「ウソつけよ!」って言わなかった?
誰が仕事を引き受けるのかが決まらないと、どれだけの人が困るのかを考えると"もう自分やるからこの話おしまいっ!"って思うのです。
- 実際には忙しいのに一番年下って理由で指名されそうな後輩が困る
- 一番仕事ができなくてヒマそうだから一見妥当な配分に見えるけど、そいつに仕事振ったらクライアントが困る=波及してそいつの周囲も困る
- かといって誰も名乗り出ないといつまでも会議が終わらず、全員の時間が浪費されていくだけで全員が困る
- 自分自身もだいたい上記のどれかに当てはまるから、結局自分も困る
って考えたら名乗り出ちゃうんですよ。もう考える必要も無く、無意識下に刷り込まれた習慣にすらなってますけど。
それが意欲に溢れた立派な行動なんて自分でも思っていなくて、"とりあえずこの場を収めないと自分を含めた誰かが困る"から。動機はそれ以上でも以下でもないです。
全くもって、みんなが嫌がる仕事引き受けてます的な自慢じゃないですよ。
もっとかみ砕いた言葉で言うならば"どうせ誰も名乗り出ないんだからこの時間ムダだって笑。っていうかそいつに振ったら余計面倒な問題起きるから笑。この空気メンドクサイから俺やるよーはい決まり!解散!今日はもう帰ろう!"って感じですから。
要は"誰かが困るのも嫌”だけど"目の前の状況がメンドクサイのは自分が嫌"なだけです。こう言えばキレイゴトっぽくなくなっていいね!
動機はそんな面倒くさがりな感情からだし、それが本当に組織のためになる選択なのか?とか思うところはあるけど、結果として"まさにその瞬間"に限っては、誰かのために行動している人間だと思います。
こういう場で社員の自主性を問うとか、経営的な広い視点から見ればどうこうとか、そんなもん知ったこっちゃありません。"そういう意図があるから君たち(社員)は自分がすべき行動をよく考えてね"、という説明があるなら事情を汲んでベストな選択肢を探しますとも。
ちゃんとその辺を説明してくれればお望み通り空気読んであげますが、そっちが"察しろ"という感情だけで誰かが名乗り出るのを待つだけの姿勢なら、そんなもんブチ壊して脱出したいの。今この瞬間から解放されりゃそれでいいの。だって"今"メンドイから終わらせたいの。
とにかく自分を含めた誰かが困らないために=誰かの役に立つ、って式は間違ってはいないけど、あくまでケースバイケース。
"誰か"が複数いる時は"誰かが救われても他の誰かが困る"こともありますね。
もっと良くないのはいっつもそうやって頭を悩ませていると、いつかは自己犠牲が生まれて自分がパンク=自分が困っちゃうんですよね。
じゃあどうすりゃいいのって、そんなの簡単な話なんですけどね!
行動の"軸"と"打算的"
結局は自己犠牲を伴った"誰かのため"の行動なんて、そんなに長続きしないんですよ。少なくともkuro隊員はそう。もし長続きしている人がいるなら素直に称賛の言葉を送ります。
前述の"誰が仕事を引き受けるのか会議"で言うと、自分が仕事を引き受けた後、予定が立て込んでくると"あの場ではしょうがないから引き受けたけど、なんで俺だけこんな苦労してんの"って気持ちになっちゃうの。キャパの少ない人間のクセに、無計画に仕事引き受けるからなんだけどね。これ以上ない自己責任。
"誰かのため"って理由は一見立派なように感じるけど、仮に立派だとしても結果が出るまで行動を全うする程の理由としては非常に弱くて脆いって個人的には思います。
先の例で言うと、自分が仕事を引き受けることでその場を収めたとしても、"その瞬間"にしか人の役に立っていない選択だったのなら、自分の行動に宿る熱意も"その瞬間"で終わっちゃってる、って言うのかな。
とりあえず場は収めたけど、次の日には”また面倒な仕事増えちゃったなぁ。しょうがないから着手するか..."と。我ながら"誰かのために行動したつもりなら最後まで責任持てよ!"と言われても仕方ない態度だと思います。
単純にkuro隊員の"人のために生きる"スキルが低いだけなのかも知れないけどね。他人に無関心なことに定評がある...と思うので。
で、ここまでがkuro隊員の体験談です。
誰かのためにと意識高く生きていたつもりが、不器用な自分を自分の行動で苦しめるばかりの生き方をしていました。
今でも誰かのために生きたいという想いは変わらず持ち続けていますが、社畜を脱してからの数年間で、アプローチは大きく変わりました。
そんなこんなで人助けは結構なことだと思いますが、結局の所は他人軸で行動すると疲れます。
"誰かのために"って動機がいかに尊いものであれ、疲れるもんは疲れます。
それは自分じゃない"誰か"って他人軸で行動しているから、と思います。
"誰かのために"って口に出すのは大いにOKです。
そうすることで"アイツは他人のために行動できる貴重な人間だ!"って評価が得られるかも知れない。あるいは"アイツはキレイゴトばかり言ってやがる"ってネガティブな声を浴びせられるかも知れない。
周囲からの評価の良し悪しはあくまで結果であって、自分自身の思考は"100%自分のために"であるべきってことを言いたいのです。
一見、自分を犠牲にして面倒なことを引き受けているように見えても、それが評価や成長に繋がると"自分が"判断したなら”自分軸"の行動。
"〇〇さん困ってるなー...本当は嫌だけどかわいそうだから引き受けるかなぁ...きっと誰も評価してくれないけど..."なんて状況で引き受けちゃ"他人軸"の行動。
もっと言えば、"ぼく(わたし)は他人のために自分を犠牲にして人(会社)のためにガンバっています!"ってアピールして、それを理解してくれる人間に囲まれた状況ならそう言えばいいし、鼻で笑うだけの人間しかいないなら言わないほうがいい。
要は自分軸で行動するにあたっては
自分のために打算的であるべき
って思います。
"誰かのために"と言って行動して、それが自分のためになるならガンガンそうすればいいんです。
いくら困っている人に助け舟を出すような行動でも、どう考えても自分に不利益がありすぎるなら実際に行動に移す必要も無い。
"自分のため"って絶対的な判断基準=軸を持っているといないでは、行動のスピードにも正確さにも大きな差が生まれます。
さらに言えば、"何か面倒な頼まれごとをされた時、自分の評価を上げつつ(最低でも下げずに)うまく断る方法"を真剣に考えるクセがつきます。
それは一生モノのスキルなので、全ての悩める会社員のみなさんにぜひ体得してほしいと思います。
が、しかし。
見え透いたウソだけはNGです。
何か手伝いを打診されてノータイムで"〇〇日までは身体が空かない"とか"俺は無理だけど他のヤツ紹介するよ"とかキッパリ言えないとアウトです。
"えーっとうーんと、お手伝いしたいのはやまやまなんですが、ちょっとバタバタしてまして...本当にごめんなさい"みたいなのは大体ウソです。そいつは90%の確率(根拠無し)で手伝いたくないだけです。
その"やりたくないから下手に出てそれっぽいこと言ってどうにか逃れよう"発言もある意味では"自分軸で行動"しているように見えますが、後々になって白々しい演技がバレちゃうのが既定路線なので、結果的に自分の評価を下げ、ひいては行動に制限をもたらします。正直、その場しのぎなのであまりオススメしません。
全ての行動基準に"自分のためにかつ打算的に"って条件を加えるだけで"一生懸命やってるつもりなのに何だかシンドイなぁ"って感じている人の、何かがきっと変わる...と思うんです。
つづく!
長くなったのでこの辺で区切ります。つづきは多分近日中に。
全て自分の頭の中にある言葉なんですが、まとめるのに一苦労しています。何度読み返して書き直しても、イマイチ何を伝えたいかよくわかりません...。
普段から本音を表に出していないと、いざこうしてアウトプットするのって結構大変なんだと痛感しております。
この記事も書いては消して、書いては書き直して、を繰り返して足掛け1週間くらいかかっていますが、もうどうにもまとまらないので、矛盾ありまくりの主題ズレまくりのままで公開に踏み切ろうと思います。
いずれ全面的にリライトされるだろうから、初版(?)が読めるのは今の内ですよ!
もっとスラスラ書くつもりだったんだけどなぁ...。
ではまた(^_^)/~