池田町地域おこし協力隊~kuro隊員の活動日誌~

平成28年4月。30才目前にして、北海道池田町地域おこし協力隊として移住したkuro隊員の活動をダラダラ綴ります。

20年くらい会っていなかった祖母の死に思う事

こんにちは。

北海道十勝地方池田町地域おこし協力隊、任期の半分を終えたkuro隊員です。

祖母の死

2017年10月3日。

父方の祖母が亡くなった。享年90歳。

最後にいつ会ったのかは覚えていない。多分20年前くらいだろうか。

「なにそれ変なの」と言われるのは慣れているので気にならないけど。「何で会ってないの?」という率直な疑問に対しては、ついにベストな回答を思いつかなかった。

祖母が意識を失ってから亡くなるまでの最期の数日間、会いに行けなかった事は一生悔やむ気がする。どんな顔して会いに行けばいいのかわからなかっただけだけどね。

もう長くないかも、という知らせ

池田町最大のイベント、ワイン祭りを翌日に控えた9月30日に母からメール。

「おばあちゃんが急に弱ってもう長く無いかも知れない」、と。

最近は札幌に帰って両親の顔を見る度に「老けたなぁ。なんか小さくなったなぁ。」と思っていたくらいだから、両親の親、すなわち祖父母で唯一存命だった父方の祖母の事は気になっていた。

虫の知らせなのかわからないけど、今年の春頃から「そろそろ会いに行かなくちゃ」と何となく思い始めていたけど、それは叶う事無く。

家庭環境のせいにしても仕方無いけど、もっと簡単に会いに行ける関係だったらよかったのに。祖母がどこにいてどんな生活をしているのか、私は20年くらい知らずに生きていた。最後に会ったのはいつか、祖母がどんな顔だったかもろくに覚えていない。

でもワインまつりが終わった翌週末には帰るつもりだった。今まで会えなかったから私の顔もわからないと思うけど最期くらいは、と思って。

祖母との思い出

あんまり覚えていないのが本音。

祖母は私の実家から徒歩10分くらいの家に住んでいたんだけど、そこに父の兄弟が集まって宴会してたとか、たまに私と姉が泊まりに行ったとか、それくらい。

宴会はみんな酔っ払って楽しそうだったけど、子どもの頃は大人の宴会なんて長くて退屈だったとしか覚えていない。みんな可愛がってくれた気はするけど、それより早く帰りたいなぁと思っていたような。

強いて絞り出すなら、おぼろげな記憶だけど私がサッカーに夢中だった小学1年生くらいの頃、Jリーグチームのキャップを買ってもらった記憶はある。それがどこのチームだったのかは忘れてしまったけど、結構大事に被っていたと思う。

祖母とどんどん疎遠になる

祖母の夫、すなわち私の父方の祖父は67歳くらいで早くして亡くなって、それ以降は法要関係で祖母の家に集まる事が多くなって。当時私は小学校2年生くらい、お経聞くだけで退屈だなぁと思うようになって。

私は小学校高学年になると野球を始めて、土日はほとんど家にいなくなって、どんどん親族の集まりに付いて行く機会は減って。

いつの間にか両親は別居して。母親に(もちろん事情もよくわからず)付いて行ったら必然的に父方の親族と疎遠になって。

両親が再び一緒に暮らす事になって新居を建てて。でも何となく残る父方の親族への気まずさは子どもながらに感じていて。

新居にて同居する事になった父の祖母の介護が始まって、母は別居前と同様にやっぱりストレスが溜まっているように見えて。でも自分に大人たちの事情を何とかできるなんて思えなくて、何もしないまま父の祖母は私が中学1年生の頃に亡くなって。

両親の別居だとかの事情が関係あるのかどうかは知らないけど、外面は真面目に振舞っていても内面はやたら捻くれた育ち方をして。反抗期という言葉をはみ出すくらい、親族どころか両親や姉とも必要以上に距離を置いて。

面倒くさい家庭の事情を忘れたかったのか、中学高校は目を背けるように野球に打ち込んで家族と会話した記憶があまり無くて。甲子園に出場するような高校に行って新聞に載るような選手になれたら、会いにくくなった祖母や親族との関係も変わるのかもなんて心のどこかでは思っていて。でもそんな想いだけで願いを実現させるほどの能力は私に無くて。

高校を卒業すれば自由になれると思ってすぐに家を飛び出して。海外に行って公務員になってあちこち転職してそれなりに社会に揉まれて、実家のある札幌市に住んでいるのに数年に1回しか家族と会わなくなって。

自分なりに色々経験したくて選んできた人生の中で、人並に忙しくて目の前の事に精一杯で、今まで家族や親族のために何かするって習慣が無いからどんどん疎遠になって。

気付けば実家から徒歩10分の家に住んでいた祖母は施設に入ったと聞いて。公務員と介護用品の営業の仕事柄、高齢者施設の知識も繋がりもあったのにどこにいるのかも何故か聞けなくて。

その後私は札幌を離れて北海道中をフラフラしてたら楽しくて楽しくて、祖母の事や家庭の事情を思い出す事は無くなって。

池田町に移住して1年経って、落ち着きの無かった足を止めて少しは町に馴染めたかなと感じ始めたら、実家や祖母の事をふと思い出して。

「時間ができたら今度こそ祖母がどこにいるか聞いて会いに行こう」と思っていたらもう季節は秋で。ボルダリングやワインまつり出店の準備でバタバタしてて。

「もう長くないかも」という母からのメールに、あと数日で会いに行くと決めて「週末帰る」と返信したら「意識は無いけどあんたが会いに行ったら喜ぶと思うよ」と返ってきて涙が出て。

結局、間に合わなくて。

その3日後に祖母は亡くなった。

どんな顔して葬儀に行けばいいのかよくわからないまま、休暇を取って葬儀会場に向かった。音楽も流さずに3時間黙って運転した。悲しいけれど実感も無く、本当に言葉で言い表せない心境だった。

葬儀会場に入る前に気持ちを落ち着かせようとしてタバコを2本続けて吸って、いざ会場に入ったら風邪を引いて弱った顔の父が笑顔で迎えてくれて少し緊張がほぐれた。「遅くなってごめん」と父に言ったら「わざわざ来てくれて悪いな」というような事を言っていた。

しかし遺影の祖母の顔を見てもあまりピンとこない。棺の中で眠るその顔は遺影と全然似ても似つかなくてただの知らない老人のようで戸惑った。

ただ、それでも涙は流れた。

あんなに不愛想で厳しい人と思っていた父も泣いていた。

思う事

通夜と葬儀を終えて、つくづく私は「家族」というものを遠ざけていたんだなと思う。

さほど年齢の変わらない従妹が子どもを何人も連れていたり、身体の成長が止まって10数年経つのに久しぶりに会った親族に「見ない間に大きくなったね」と言われたり。私の身長は高校1年生で止まったので、一体いつの話をしているのかと思ってしまう。

従妹の結婚・出産も私の成長に対する反応も全てリアルタイムで体験すべき事だろうが、それを10年数年遅れで今、祖母の葬儀という状況でまとめて体験するのは何とも不思議な気分だと思った。

私は親族と会わなくなった10数年、外見はあまり変わっていないと思う。無論年齢を重ねた分の変化はあるだろうが、ブクブクに太った訳でも坊主頭が金髪になった訳でも子どもを連れている訳でもない。変化と言えば、せいぜいあご髭を生やしているくらいではないだろうか。

私は私のままで大した成長も変化も無く10数年生きてきた。私にとってはそれが当たり前だが私の親族はそうは感じなかった。「久しぶり、そんなに大きくなって。おばちゃんが誰だかわかる?」と言った。

「もちろんわかりますよ。〇〇さん。ご無沙汰しています。」と私は答える。こんな応対ができるようになったのは私の数少ない成長かも知れない。私が変わっていない=変わったつもりはないのと同様に、あなた達にもちゃんと昔の面影があるからわかるに決まっている。

そんなやり取りを数人と交わし、長いお経を黙って聞く。従妹の小さな子どもが退屈そうに動き出す。そりゃ子どもには葬儀なんて退屈だよなと思っていたら、急に記憶が蘇った。

そうだ、私も小さな頃は会ったことも無い親族の葬儀に退屈して、今は子どもを連れている従妹たちと葬儀会場を走り回っては両親と祖母に怒られていたんだった。

やっとその瞬間の祖母の怒った顔を思い出した。写真のように焼き付いていたその一瞬の表情を思い出した。

 

翌日の出棺の時、最後の最後にもう一度棺の中の祖母の顔を見たら、少しその時の面影があるような気がした。

そんな気がするだけかも知れないけど、そう思い込む事にした。

 

正直言って、宗教を全く信じない私は葬儀の意味も作法もよくわからない。

しかし死んでしまった人のためではなく、残された人たちが悲しみを分かち合って励まし合うためにあるんじゃないかと思った。そうであろうとそうでなくとも、どうだっていいけど。

 

葬儀を終えて、私は急に家族が心配になった。

父は肺の病気で数年前にタバコを止めたが、健康になるどころかどんどん小さくなっているように見える。

母は私が札幌を離れる直前にちょっとした病気で入院し、最近は膝が痛むと姉にこぼしている。

姉は転職して元気に働いているようだが、昨年交通事故で大怪我をした。

次は誰に何があるのか考えると怖くてたまらない。多分、今まで疎遠だった反動なんだろうと思う。

 

祖母の死がきっかけで「家族を思う」という当たり前の気持ちがはっきり形になったような気がする。

気付くのがあまりに遅くて、私はもう31歳になった。両親は今年で64歳と61歳。

日本人の平均寿命は80歳前後。1年に1回しか両親に会わないとすれば、もう20回も会う機会は無いかも知れない。それだけじゃ今までの離れていた時間は埋められない。「もっと会いに帰ればよかった」と後悔したくない。

「出張とか何かのついでに」じゃなくて、これからはちゃんと時間を作って家族に会いに帰ろうと思う。だからまだ、元気でいてほしい。

 

 

 

祖母よ、どうか安らかに。