こんにちは。
北海道十勝地方池田町地域おこし協力隊、残り任期は4か月のkuro隊員です。
よくある質問まとめ
kuro隊員が移住した理由は軽くてストーリーなんかないよって話を書いていて、"協力隊FAQ~kuro隊員Ver"でもまとめてみるかと、ふと思いつきまして。
質問項目はどの地域の協力隊でも共通するものかとは思いますが、回答は全てkuro隊員の本音です。
正直かつ真剣によくある質問の回答をまとめるよって話!
協力隊になるまで編
Q1:どうして協力隊になったの?
生まれ育ちはほとんど札幌なんですけど。このまま札幌で働いて生活していくのは何か違うと言うか、やたら疲れるなってことに気付いて。
そこから移住先を探して北海道のあちこちで住み込みの仕事をして、どこに住もうかをじっくり考えたんです。2年弱くらい。
で、その間に観光で十勝を訪れて、この景色はいいなぁと思って仕事を探してみたら、なんと地域おこし協力隊なる制度があるじゃないか、と。これは移住を考えている今の自分にピッタリだし、町をおこすのが仕事ってよくわからんけど面白い!って感じで。
それがたしか2015年の12~1月くらいで、ちょうど新年度から勤務開始の求人ばかりの時期だったんです。その当時に住み込みで働いていたスキー場も3月いっぱいまでの契約で、ちょうどいいやと。
これはもう運命的なタイミング!と思ってすぐに応募することを決めましたね。
Q2:池田町を選んだ理由は?
北海道内のいくつかの求人をピックアップして、条件面でを見比べて選定しました。候補だったそれぞれの町のこととかは全然知りませんでしたよ笑
新年度からの勤務(前職の契約終了時期とピッタリ)、給料(池田町の協力隊給料は上限ギリギリの高水準)、活動内容(割と自由度が高そうだった)、十勝管内の都市部である帯広市へのアクセス(車で30分)などなど。
はっきり言って、条件重視で応募先を選んでいました。それさえある程度確保していれば、人間関係や娯楽なんて自分でどうにかすればいい、と。
で、大まかなエリアとしては十勝が第一希望。十勝の中でも池田を選んだのは...条件が一番良かったからです笑
(応募時点では)縁もゆかりも無いし、ワインもドリカムも特に好きではありませんでした。一度観光で訪れた時には、ワイン城にちょこっと立ち寄っただけです。
ええ、軽い理由です。自分でもそう思いますもん。
Q3:実際、いくつの町に応募したの?
応募書類を送ったのは池田を含めて3件ですね。
1件は富良野市。言わずと知れた観光地だしスキー場あるし、生活の不便は全く無いだろうと。
もう1件は夕張市。こっちは条件面ではなくて...割と使命感を持って応募しましたね。だって財政再建団体の自治体ですよ...そこから這い上がるための力になれるかも知れない、と思うと湧き上がるものがありましたね。いや実際は大したことできないんですけど笑
協力隊制度を知った時から、地方創生や観光に関する本を読んで勉強を始めたんですけど、その中で鈴木直道市長の本を読んだことも応募に繋がったきっかけですかね。
ちなみに富良野市は書類審査落ち、夕張市は池田町の内定が出たので面接を辞退しました。すんません。
Q4:希望していた職種は?
まぁお察しの通りかも知れませんが...絶対にコレ!ってのはありませんでした笑
強いて言うなら観光分野がいいかなぁと希望していて、池田でも観光協会勤務の募集があったんですよ。
結局は現在の"町おこし推進員(商店街活性化など)"に応募することになったんですが、その理由が観光の採用人数は1名だけなのに対して、町おこしは3名も採用枠があったからなんです。
ぶっちゃけた話、受かる確率の高い方を選んだって訳です。ええ、軽い理由です。
採用された後は、自由なお手伝いマンとして観光協会に出入りできるようになったので、町おこしの方に応募して良かったなと思いますね。結局両方できたので。
Q5:面接とかの対策はした?
もちろん!落ちたら意味無いですからね!
町の統計情報から十勝ワインのラインナップと歴史、イベント情報、既に活動している隊員の動向など、調べられることはほとんど調べてノートにまとめました。けっこうマジメでしょ?
加えて、他の自治体の町おこし事例なんかも参考にできることはないか?と調べ漁ってましたね。もうほとんど忘れちゃいましたけど...。
Q6:面接はどんな感じだった?
課長職3人と係長職1人が面接担当だったような...。
質問自体は普通で、志望動機とかこの町でどんな活動をしたいとかなんとかかんとか...なんて回答したかはあんまり覚えてないけど、間違いなく当たり障りの無いことしか言わなかったかなぁ。
本番の面接よりも印象的だったのは、応接室的な部屋で自分の順番を待っていると、アテンド役の職員さんがずっと話しかけてきたんですよ。中国人観光客が喜ぶおもてなしとかそんな話。
"もしやこれも評価に含まれるのか...?"と思ってボロを出さないように応対したつもりですが、後日、やっぱり評価対象だったと聞いてホッとしましたね...。
志望動機を掘り下げる編
Q7:どうして都会が嫌になったの?
札幌を出る直前は営業の仕事をしていまして。まぁまぁ給料の良い会社だったんですが、なんせ忙しくて...。
朝から晩まで分刻みのスケジュールをこなさなきゃならないのが普通だったんですが、それ自体はやってしまえば慣れるもので、そんなに気にならないんですけど。
ある冬の日、大雪で全然車が進まないことがありまして。そうなるとアポ全件が押しまくり状態で気が気じゃない中、右折しようとソワソワ信号待ちしていたんですが。なんとその交差点が詰まって一向に動かず、信号が3回も青→赤に切り替わるという光景を見て..."なんだこれ"と思ったんです。
"この待ち時間ってなに?そして何のためにこんなに急いでイライラしなきゃならんのか?"と。"この待ち時間やイライラって、人生において必要か?"と。
例え給料が安くてもいいから、"人と車の多さや仕事の忙しさにイライラしない生活がいい"とはっきり思った瞬間でした。どこか地方に移住して暮らすという選択肢が初めて浮かびましたね。
Q8:どんな仕事してたの?
いわゆる社畜という仕事です。
公務員→営業(零細ブラック)→営業(大手グループ傘下ブラック)です。
最終的には介護用品の営業をしていました。電動ベッドとか車いすとか、自宅に手すりを取り付ける工事とか。給料は良かったです。
kuro隊員の最終学歴は高卒なので、一般社会の平均くらいの年収にありつける最後のチャンスだと思っていましたね。多分この会社を逃すとあとは下がる一方じゃないかと笑
ただまぁとにかく忙しかった。定時なんてもちろんあってないようなものなので、早出残業当り前。じゃなきゃ仕事が追いつかない。
必死に働いていたつもりだったので、拘束時間の長さや忙しさはそこまで気にはならなかったんですが、反動で休日は何もしたくなかったですね。レンタルビデオか野球中継観て半分寝ながら過ごしていました。
...え、ボルダリングですか?絶対始める気になりませんね笑
住んでいたアパートの徒歩圏内に2軒もジムがあったのに、とてもじゃないけど新しい趣味を始める余裕はなかったですね...。
あとは社内接待みたいな飲み会も大嫌いでしたねぇ...。
ええ、そんな仕事です。
Q9:移住して田舎暮らしのイメージは?
正直言って、"ありえないしょw"くらいに思っていましたよ。特に20代前半くらいまでは。
kuro隊員は札幌のまちが好きだったので、仕事の都合以外で札幌を離れるなんて考えたこともなかったですかね。家業を継がなきゃならないとかのUターン以外でわざわざ田舎に移住するなんて理解できなかった。
今でもよく覚えているんですけど、21歳くらいの頃に公務員の先輩に連れられて沖縄料理屋によく飲みに行っていて。そこそこ繁盛していて2号店も出しちゃう人気店だった...と思うんですけど。
そこの店長さんを最近見かけないなぁと思ったら、"移住して農業やってる"みたいな話を聞いて。胆振の方だか空知の方だか忘れましたけど。
"信じらんねぇ!"と思いましたね。札幌の中心部で店出して繁盛して、成功しているように見えた人がなぜわざわざ地方へ移住?と。そのまま札幌にいたらいいじゃん!と。
移住に対するイメージはそんな感じでしたね...ホントに20代前半までは、の話ですからね。
Q10:移住することは親や周囲に反対されなかった?
されるもなにも...ほとんど言ってないですからね笑
友人から"週末飲みに行く?"と連絡きて"ごめん今知床に住んでるから無理"みたいな感じですかね。報連相ゼロです笑
自分の中で決めたことだったので、どうこう言われたくなかったって感じだったかなぁ...いっつも勝手に決めて"こうすることにしたから"と告げるのがkuro隊員の得意技ですからね。もう借りてた部屋の解約日まで決めるくらいに話進めちゃったし、当事者ではない人への反論とか説得するのって疲れるじゃないですか。
親は...もう半分諦めてるでしょうからね、きっと。公務員を辞める時にはさすがに猛反対されましたが、結局何一つ言うこと聞かず辞めちゃたし。
ええ、自分勝手です。
...長くなってきたのでこの辺で一区切りします。
最後に
自分のことだとスラスラ書けますね...4,000文字くらいを1時間!
冒頭のふざけた画像作った上でこれだけ書いたら指がダルくなってきたので、ちょうど10問で一区切り。
これで"詳しいことはblogでどうぞ"と言う機会が増えるかも知れません!なんか恥ずかしいから言わないかも知れないけど!
次のテーマは何にしようかな...。
ではまた(^^)/