こんにちは。
北海道十勝地方池田町の地域おこし協力隊、kuro隊員です。
読書会
依田勉三
1/14(土)池田町立図書館にて、十勝読書クラブ主催の読書会が開催されました。
主催者であるTさんとは顔見知りで、お誘いいただいたのでホイホイ参加。
テーマとなった本は「依田勉三の生涯」松山善三著。
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十勝に住んでいるくせに、全然誰だか知りませんでした。
Tさんにお誘いいただいた際「本読んでないけど参加していいんですか?」と尋ねたら全然OKとのことだったので、本当に読まずに参加。
予備知識くらいは、と思って調べてみたら、十勝の開拓に深く関わった熱い人だったと知りました。
先日、池田町の歴史について浅く記事を書いたので、関連する人物として興味をもちました。当日ちょっと二日酔い気味ですが参加。
依田勉三とは
歴史
- 1853年(嘉永6年)
伊豆国那賀郡大沢村(現:静岡県賀茂郡松崎町)に生まれる。
豪農の三男。兄・佐二平、次男は幼くして他界。
- 1865~1867年?
両親他界。兄・佐仁平が後継。
- 1872年?
上京。英字塾に入学し、開拓の同志となる渡辺勝、鈴木銃太郎と出会う。
- 1879年(明治12年)
従妹のリクと結婚。同時期に北海道開拓を志す。
- 1881年(明治14年)
4か月間、単身で北海道視察へ。函館・胆振・根室・釧路・十勝・日高・苫小牧・札幌を経て帰京。
- 1882年(明治15年)
晩成社設立。大器晩成を願って付けた名。
- 1883年(明治16年)
依田家はじめ小作人として募集した13戸27人、自費で渡航。
野火、トノサマバッタ、マラリア等に苦労する。
- 1884年(明治17年)
思うように開墾は進まず、食料不足。
- 1885年(明治18年)
「開墾の はじめは豚と 一つ鍋」
という詩が詠まれるほど貧しい暮らしを味わう。
土地下付願の許可が下り、43町歩(1町は99.173アール)を得る。
馬鈴薯澱粉を研究するが失敗。住民は3戸に減少。
- 1888年(明治21年)
弟の文三郎が結核で他界。家畜も病死・凍死・餓死に見舞われる。
- 1891年(明治23年)
新規事業の亜麻栽培に着手するも失敗。
- 1892年(明治25年)
緑綬勲章受勲。郵便局、駅逓所開設。
囚人700人による大津・芽室間の道路工事開始。
函館に牛肉店を開業。
- 1896年(明治29年)
妻・リクと離婚。函館士族の娘、サヨと再婚。
- 1897年(明治30年)
株主配当が支払えず、満期を延長。
- 1900年(明治30年)
乳製品製造へ。練乳やバターは一時期好評を得るが大正8年には中止。
- 1905年(明治38年)
副社長の依田善吾、伊豆へ帰る。勉三との不和が原因?
- 1909~1911年(明治42~44年)
椎茸栽培、缶詰製造、イグサの栽培を始めるが、いずれも失敗。
- 1916年(大正5年)
晩成社の農場等の全資産を売却し、事実上活動休止。
- 1925年(大正14年)
兄・佐仁平、妻・サヨ他界。勉三自身も中風症に倒れ12月12日、帯広の自宅にて他界。
享年73歳。
- 1941年(昭和16年)
中島武市の奔走により勉三の銅像が作られる。
- 1954年(昭和29年)
北海道開拓神社に勉三が合祀される。
あらら、掻い摘んで書くつもりがすごい長さになってしまった。
主催者Tさんの作った資料。よくできています。
早い話が失敗続きの人生と言っていいでしょう。
北海道、特に十勝の開拓のために尽力し、報われずその生涯を帯広にて終えた男。
もうロマンの塊ですよ。
kuro隊員はこういった話に弱いんです。
もちろん何をするんでも目標達成を目指しますが、結果的に失敗に終わったとしても、死に物狂いな姿はその瞬間には滑稽に写ったとしても、こうして後世に語り継がれる訳です。
読書会では気の利いたコメントができませんでしたが、もう私は依田勉三のファンですよ。※単純なので。
人物像
無謀、緻密な計画が立てられない、リーダーシップが無い、理想主義者。
という人物像が語られています。
まぁ結果だけ見れば、少なからずその要素はあったんでしょう。だからどうだって言うんだよ、と個人的には思います。
リーダーとなる人間には色んなタイプがいます。
圧倒的な実績を持っているor作り出せる、深い人望がある、真面目、一生懸命、上にゴマするのがうまいetc。
理由が何であろうと、企業という組織の中でリーダーの立場にいる人間には何らかの理由があるでしょう。それが例えゴマすり上手だったとしても。
「上司に恵まれない」と言って仕事に身が入らない人間の上には「部下に恵まれない」とボヤく上司がいることでしょう。
読書会の終盤、参加者それぞれが意見と感想を述べる時間があったのですがそこで追加で得た情報として、どうにも勉三は部下に恵まれなかったようです。
それでも勉三自身は身を粉にして開拓に挑んだ。
この辺の事情を知って、イチローの言葉を思い出しました。
チームワークとは
「自分のためにプレーする=悪いことと捉えられるが、チームの全選手がそう思ったならその先にチームの勝利がある」的なヤツ。※ちょっと改編してますが。
何の本で読んだかは忘れましたが、この言葉はまさに本質だと思います。
チームワークって言葉は、弱者同士がお互いを助け合うためじゃないし、強者が弱者に歩調を合わせる訳でもなくて。
あくまで個人個人、強い意志と能力を持った人間たちが共通のベクトルで目標を達成するためにあると思うんですよ。
例えばサッカーのワールドカップの日本代表チーム。
バラバラのチームから集められた一流プレイヤー達が、短期間のセッションを経て世界の強豪と戦っていきますよね?
そんな状況で弱者=下手くそに構ってるヒマは無いでしょ?
求められるのは結果。そのために最善の手を真剣に考えると、必然的にそうなりませんかね?
努力はプロセスとして必要だけど、それを基準に評価したら色々バランスが崩れます。
手を取り合ってみんなで一緒に...みたいな考えは非営利な事業だけにすべき。
チームワークって言葉は弱者の都合良い慰め合いの言い訳ではなく、強者(それ相応の努力をしてきた者)のための言葉だと思いますよ。
昨今、過労による自殺などが報道されています。
簡単な話、そういった考えがある組織に馴染めないなら辞めりゃいいのにとは思いますが、ここは持論を抑えて...。
依田勉三に学ぶこと
農業や酪農の失敗は、あまりに無謀だったからと言われています。
しかし、当時は情報を得ることが現在のように容易ではない時代。
その辺の背景は考慮すべきですが、共通して学ぶべき要素があります。
それは行動力。
無謀だとしても失敗したとしても。
行動したから依田勉三の名が残っている訳ですね。
情報を一瞬で得られる現在、それが足かせとなるケースも多々あるでしょう。
行動せずとも、他人の発信した情報を見て知識人気取りの人もいるでしょう。
それでも行動しなければ、歴史に名が残ることもないし結果も何一つ得られません。
時代は変われど、そこは不変なのかなと思います。
さて、池田町史と依田勉三の本が読みたくなりましたかね?
kuro隊員は近々読もうと思います。
ではまた(^O^)/