"元"池田町地域おこし協力隊~kuro隊員のその後~

平成31年3月に池田町地域おこし協力隊を卒業したkuro隊員の"その後"をダラダラ綴ります

【前編】かつての親友と5年ぶりくらいに会った話

こんにちは。

元池田町地域おこし協力隊、現在は池田町議会議員のkuro隊員です。

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むかしばなし

今回のお話は、いつもの記事以上にただの自分語りでございます。

意図的にかどうかは微妙なところですが、当blogでは"現在""未来"の話を書くのが一つのテーマです。

"過去"の話となると、なんとなく感傷的だったり素人ポエムなイタい文章になりそうだってのもありますかね。

 

ということで、かつての親友と数年ぶりに会ったって話!

 

親友M

先日、かつての親友に5年ぶりくらいに会った。

彼の名を"M"として。

 

Mと出会ったのは高校1年生。

"野球部が強い公立高校"という条件で受験し入学した高校の同じ学科だった。

 

今となってはその片鱗はどこにもないが、僕らは"情報技術科"という科に属していた。

プログラムの基礎、電子回路、CADなど、授業内容は工業高校のようなものと思ってもらえればいい。

 

僕もMも、成績は良くなかった。

そもそも工業系科目への興味などゼロで、ただ"この高校の野球部強いしいいんじゃね"くらいの動機で入学してきた訳なので、勉強に身が入らないのは当然なのだけども(言い訳)。

 

同じように"ここの野球部に入るため"に技術科を選んだ生徒は多かった。

公立高校には珍しく複数の学科を備える中で、技術科が下から1~2番目の学科だったので狙い目だった。

それでも平均よりは上のランクではあったので、受験に際しては人生で一番勉強に励んだように記憶している。

 

技術科クラスの40人のうち、女子は2人のみ。

38人が男子、さらにはその内の10数名、実に1/3くらいが野球部=坊主頭という"青春ってなんだ"と叫びたくなるような色気のない環境に僕らはいた。

(商業系や語学系学科では男女比率が逆だったので、学年全体で見れば女子生徒の方が多かったのが救い) 

 

技術科には、ほぼ毎週の実習&レポート提出という"野球部泣かせ"のプログラムがあった。

毎週火曜日に3コマを使って実習、その翌々日の木曜日までにレポートをまとめて提出する、というもの。

それだけを聞くと、"普通の宿題みたいなもんじゃね"と思うかも知れないが、レポートを提出しただけでは終わらないのがキツいところだった。

 

提出後には担当教師との口頭確認が待っている。

"この考察について説明して"とか、そんな質問がアドリブで飛んでくる。

勉強ができる友人のレポートを半ば強引なお願いで丸写しして提出したとしても、それを口頭で説明できないといけないのだ。

担当教師によってはちょっと答えに窮しただけで"はい理解できてないね出直してこい"と打ち切られることもある。

真偽は不明だが、口頭確認をパスしなければ問答無用で通知表に"1"がつくとの噂もあった。

 

朝、授業の合間の10分休み、昼休み、放課後。

登校してから放課後の部活開始まで、全ての空き時間を駆使してレポートの口頭確認に挑まねばならない。

そもそも野球部に放課後の自由時間など無いに等しい。

公立高校らしく特別扱いのない校風だったため、"技術科でレポートが大変だから部活に遅れる"とか"野球部だから授業に関しては甘やかされる"なんてことは問答無用でアウトな世界。

日中のわずかな時間を割いては、丸暗記や一夜漬けの知識をひっさげて技術科職員室の扉をノックするのである。

 

このレポートにまつわるエピソードはたくさんあるのだけど、蛇足になるので割愛するとして。

 

僕もMも、このレポートに散々苦労した。

なんせ毎週もれなく実習があるので、早々に合格しなければレポートがたまっていくのは当然だ。

僕とMは出席番号が近いため、同じ班で実習を受けていた。

同じペース、時に抜きつ抜かれつ

"お前レポート何個たまってる?"

"えーと...3つかな"

"勝った俺2つ!!"

そんなアホな会話を交わしていた。

 

勉強嫌いの僕らが要領よく捌いていける訳もなく、"レポートをためがちな野球部員"というカテゴライズをされたのが最初の共通点だったように思う。

 

野球選手として

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勉強の面ではそんなだらしない共通点を持つ僕らだったが、野球においては決定的な違いがあった。

Mは1年秋から背番号2を獲得し、以後、最後の夏を終えるまで不動の正捕手。

かたや僕は、一度も背番号を手にすることなく3年間を終えた。

 

自慢ではないが、僕らの野球部はそこそこ強かった。

2学年上の先輩には、卒業後に育成選手ながらプロ入りした怪物もいた。

僕らは、かの駒大苫小牧高校が北海道初の全国制覇を成し遂げた世代だった。

走攻守の全てにおいて圧倒的なスピードで試合を支配する駒苫は、どう見ても北海道内ではズバ抜けて強かった。

春季全道大会準決勝にて、その駒苫と1点差ゲームで敗れたくらいの強さだと言えばわかりやすいだろうか。

なお2年生時の秋季大会では、後に社会人チームを経て日ハムに入団した瀬川投手を擁した北海高校に敗れている。

 

最近の話をするなら、2019年の夏に2年生バッテリーが中心となり、あと一つで甲子園!というところまで駆け上がった。

一時期は低迷していた母校野球部だったが、僕らの前後数年世代同様、"公立最強校"的なポジションに再び立っているのではないか、と思う。

 

母校の話はこの辺にしておいて。

 

ひょうひょうとしているようで抜け目のない性格のMは、キャッチャーというポジションがとてもよく似合っていた。

万年補欠の僕に言われたくないであろうが、決してセンスや体格に恵まれていないにも関わらず、意外なところでタイムリーを打ったり激しいクロスプレーをやってのけた。

 

ポジションが違うので(僕は外野手)ライバルという意識はなかったが、正捕手とメンバー外という実績・立場上の差は大いにあった。

 

忘れられない言葉

この記事のタイトルでも"親友"という表現をしているが。

実を言うと、高校生の頃は僕とMは特別仲がいいという訳ではなかった。

同じ学科で同じ部活、実習の班まで同じなのに、プライベートで属するグループは違っていた。

 

キャッチャーというポジション柄なのか人間関係もそつなく築けるM。

当時からちょっと偏屈で交友関係の狭い僕。

あくまで僕らはチームメイトの域を出ない付き合いだったように思う。

 

Mから言われた忘れられない言葉がある。

 

高校2年生の初夏、僕は背中を痛めた。

今思い出してもやるせない話だが、最初に病院にかかった時には椎間板ヘルニアの疑い、と診断された。

"...あぁ、もしかして野球続けられないヤツじゃないか"と深くショックを受けた。

早合点すぎると思われるかも知れないがそれだけ僕は青春を野球に捧げていた。

例え"疑い"だったとしても、その青春が消えてしまう可能性のある症名を聞いたときには本当に頭が真っ白になった。

 

幸いにも、前述したように僕は背番号とは無縁の選手だったので、今ここでひっそりと退部したって誰にも迷惑はかからない。

戦力がダウンする訳じゃないし、むしろ誰か一人でも"あいつ(僕)の分までがんばろう"と発奮してくれるならむしろチームの力になれる。

 

雨降りの日、そんなことを考えながら授業中に窓から外を眺めていたら、知らず知らずのうちに涙が溢れてきたので、居眠りしたふりをしてやり過ごしたりもした。

今、その時の自分を冷静になって振り返ると、"哀愁ヒロイック感に酔ってないでさっさと病院行けよアホ"と言いたくなるのは内緒。

 

その日の放課後、授業が終わって教室を出たらMがいた。

 

僕"今日病院行くから練習休むわ"

M"なんの病院?"

僕"ヘルニアかも知れないんだってさ"

M"マジで"

僕"今日は別の病院で診てもらうけど、本当にヘルニアだったら野球部辞めるわ"

M"お前が辞めるなら俺も辞めるわ"

僕"(!)"

 

Mのキャラクターからしてきっと冗談半分に軽い気持ちで言ったのだろうけど、サラッとそう言われたことが嬉しかった。

まだ診断結果がはっきりしていないのにも関わらず、勝手に凹んで逃げ出すことを考えていたことに気づいた。

"こう言ってくれるチームメイトがいるんだから、選手ではなくなったとしても部に残ろう"と素直に思った。

 

やっぱり僕もチームの一員=当事者でいたかったことに気づかせてくれたMには感謝しかない。

 

 

お粗末なオチなのだが、結局僕のケガは背筋の炎症のちょっとヒドめのやつで済んだ。

"最初に診断した医者てめぇこの野郎"と毒づいたのは一瞬で、まだ選手でいられることの喜びが圧倒的に勝った。

 

その後、僕らのチームは前述したとおりに奮闘した。

強豪私立校以外にはほぼ負けなしのチームへと成長し、最後まで甲子園を目指し続けた。

 

余談だが、僕は3年生の初夏には肋骨の疲労骨折をやらかす。

が、ケガの有無に関係なく、単純に実力不足でメンバー外だったということも申し添えておく。 

 

そんなこんなで僕もMも、最後まで共に甲子園を目指した戦友でいられたことを今でも嬉しく思う。

 

 

そしてお粗末なオチがもう一つ。

そんな熱い想いの詰まった美談なのだから、僕がケガから立ち直るエピソードが今でも語り草になっているように思われるかもしれない。 

高校を卒業して数年後、酒を飲みながらMに聞いてみたことがある。

 

僕"俺がケガした時、「お前が辞めるなら俺も辞める」って言ったの覚えてる?あれめっちゃ嬉しかったんだけど"

 

 

M"なにそれ知らね"

 

 

...やっぱり深い意味はなかったんだね。

Mらしいよ。 

 

続く

レポートの件を無駄に長々書いてしまったので、ここでいったん区切ります。

不思議と高校卒業後に、ただのチームメイトだった僕とMは仲良くなっていくのですが、それは野球から離れた僕らの第二の青春と呼べるような充実した時間でした。

 

ここまで読んでいただいた方、素人ポエム的文章にお付き合いいただきありがとうございます。

 

ではまた(^O^)/