池田町地域おこし協力隊~kuro隊員の活動日誌~

平成28年4月。30才目前にして、北海道池田町地域おこし協力隊として移住したkuro隊員の活動をダラダラ綴ります。

"自分がされて嫌なことは他人にするな"なんてクソくらえって話

こんにちは。

北海道十勝地方池田町地域おこし協力隊、首肩腰が調子悪いkuro隊員です。

自分と他人は一緒じゃない問題

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kuro隊員の本音シリーズ...という名目の、好き勝手にひねくれた意見を殴り書きするシリーズです。

今回は揚げ足を取るかのようなお節介な意見をダラダラと書いていきますよ。ダラダラとね。

 

"その考え方ちょっとまって!"って話!

前回の本音シリーズはコチラ↓

www.kuroroman.com

 

そもそも自分と他人は違う

特に何の根拠がある訳でもないけど、誰もが"自分がされて嫌なことは他人にするな"ってニュアンスの言葉を聞いた覚えがあるのではないでしょうか。大人になってからではなく子どもの頃に。

小学校低学年くらいまで非常にわんぱくだったkuro隊員は、幼稚園や学校の先生あるいは親から事あるごとに言い聞かされてた記憶があります。すぐケンカして怒られてたクソガキだったからね!

"アイツが先に悪口言ってきたんだ!"とか反論(だいたいウソだけどたまに真実)しても、最終的には"自分がされて嫌なことは~"の言葉の前に屈するのですが、その回数を重ねるうちに、クソガキながらに一つの疑問が浮かんでくる訳です。

"俺はされても嫌じゃないのに、なんでアイツにとっては嫌なことになるんだ?"と。言い換えると"俺ならされても怒らないor嫌がらないことなのに、なんでアイツは怒ってケンカになって俺が怒られてんのさ?"的な。"俺悪くなくない?なんか違わない?"と。すっげーヤなガキだよね。

そんな疑問を持ち始めると、先生の説教なんて全く耳に入らんのです。そりゃ入らんしょ。元から入ってなかったんだろうけども。

 

疑問解消の第一段階は"先生が間違ってるんだ!"でした。"だって俺なら嫌じゃないもん"という思い込みから、まずは先生を疑いにかかる。でも自分が正しいと立証するには至らず。

その次は"アイツ(の価値観)が変なんだ!"です。"俺嫌じゃない、先生も納得してくれない、じゃあアイツのせいだ"という思い込みから。でもアイツは確かに嫌がって泣いている。それを見ると自分の正しさに自信が持てなくなる。

悩むクソガキ。

 

"そうか、俺とアイツは違うんだ"と気付いたのは小学校2年生くらいだったような気がします。同時に"自分がされて嫌なことは~じゃなくて、他人がされて嫌なことをするなってことなのか!"と気付く。ストンと腹落ち。

悟るクソガキ。

"自分と他人の違い"について、初めて意識した瞬間だったような気がします。

 

相手がされて嫌なことはするな

自分と他人は違うので、相手に対して取る行動の基準を"自分が嫌かどうか"にしちゃいけないよって話です。自分なんか全く関係なくて、ただ単に相手が嫌がることをしなきゃいい。

"俺は〇〇されても嫌じゃないから、お前も嫌じゃないだろ!"とはならんですよね。たまに本気でそんなこと言うリアルジャイアンもいるけど、まぁ無視すればいいでしょう。アウトオブ意識。

 

子どもでも大人でも、周囲の人間関係を崩しちゃいけない状況下(先生に怒られる、仕事が進まなくなるetc)なら自分を基準に考えるのではなく、自分の意志なんか木端微塵にして相手のことだけ考えりゃいいのです。もちろん、自分を殺すこと周囲の人間関係を崩さないのどちらが大事かを天秤にかけた上でね。全ての悩みは二者択一論者、kuro隊員。

"自分の誠意で相手を変える!"とか面倒な回り道するよりも、空気と相手の顔色を読むスキルの方がよっぽど大事な気はするけど、そうすると今度は"人の顔色ばかりうかがうヤツ"というネガティブな印象を持たれかねないからさぁ大変。

空気を読み過ぎて何も言えない人になっちゃうと、自他共に認める"つまらんヤツ"に成り下がるので、空気を読んだ上であえて破ることもある、くらいのスタンスを目指すといいんじゃないでしょうか。

"アイツは直接指摘するとこじれるから、裏でこっそり注意しとこ"とか、"アイツふざけすぎてるから、敢えて楽しそうにおしゃべりしてる時に突然ガッツリ叱ってやろ"とか、適度に空気読んで適度に破っちゃう的な。タイミング間違うと自分が浮くこと必至だけどね。

 

いずれにしても、しっかり相手のことを観察して考えた上でなければ、相手が嫌なことなんてわかりません。そりゃ何の理由も無く急に全力ビンタをかますとか、ほとんどの人間に共通するであろう嫌なことはあるだろうけど、それだけじゃないから人間関係は面倒くさい訳であって。

ケースバイケースとか十人十色とか、そんな複雑な事情を小さな子どもに伝えるのは難しいから、タイトルの"自分がされて嫌なことは~"の言葉が生まれたのかな、とも思います。"相手が何をされたら嫌がるか、そのボーダーがどこにあるか、相手の立場になって考えてごらん!ただしそのボーダーはTPOで変化するから臨機応変に対応してね!"なんて、子どもには理解できないというか、

伝える先生の話術が求められすぎる

よね。

 

誰かが嫌がることをしてしまった子どもに、"〇〇君も同じことされたら嫌でしょ~?"と語りかけ、他人よりも自分に降りかかることだと想像させる方が現実的な指導なんだろうかと思いつつも、

結局それ間違ってんじゃねぇの

って話です。

 

別に子育ての話ではない

"子どもを育てた経験や教育の現場にいないあんたに何がわかる!"とツッコまれると返す言葉がありません...というか議論するつもりも無いので、そもそも言葉を返す意思すら無いのですが。そもそも自分が専門外なんで、専門職の人に噛みつこうなんて攻撃的な意思も一切ありません。

 

あくまで自分と他人がいかに違うか、ということです。

"自分が嫌=相手も嫌"って教えても、リアルジャイアンとして育つごく一部の荒くれものは別として、人生の早い段階のどこかで気付くじゃないですか。"あぁ、自分と他人ってこんなにも違うんだ"、と。"価値観は人それぞれなんだ"、と。

だったら最初から"自分と相手がイコールではない=相手の嫌なことを考えて嫌がることをしない"と教えちゃう方が手っ取り早いのでは、と思うのです。

 

何よりも、相手が嫌がることを考えられるということは、その反対に相手が何をしたら喜ぶかについても応用できるじゃないですか。

喜怒哀楽を感じるラインは人それぞれで、似た性格の人同士をある程度カテゴリに分けることはできても、多様すぎて万人共通の法則なんてろくにありゃしないでしょ。だからこそ、せめて自分の周囲にいる人たちだけに対してでも、そのラインを探る=空気を読むとか顔色をうかがうって習慣が必要だと思うのです。

ほら、別に子育ての話じゃなくて大人にも当てはまることでしょ?

 

一言でまとめると

自分が嫌なことじゃなくて

相手の嫌なこと考えよ

です。

 

以上!

 

最後に

補足することがあるとすれば...相手の嫌なことは何かと考えるのは、その相手と付き合うべき、あるいは付き合いたい何らかの理由があるから、ですかね。仕事上だろうがプライベートだろうが、人間関係を築きたいと思わせる何かがある場合に限る。

 

"出会う人みんなに対して絶対そうする!"なんて一切考えておりませぬ。打算的に自分軸で生きているのでね。

 

ではまた(^O^)/