池田町地域おこし協力隊~kuro隊員の活動日誌~

平成28年4月。30才目前にして、北海道池田町地域おこし協力隊として移住したkuro隊員の活動をダラダラ綴ります。

黒田博樹という男~広島カープのレジェンドを懐かしむ~

こんにちは。

北海道池田町の地域おこし協力隊かつ駆け出しボルダラー、kuro隊員です。

男気

WBC、選抜高校野球、プロ野球オープン戦など、野球ファンにとっては待ちわびた球春の到来。もちろんkuro隊員もこの時期が大好きです。

北海道の3月はまだまだ雪が残っており気候的な意味では「春」を感じるのはもう少し先ですが、学校の卒業式や本州の桜が開花したニュース、そして野球シーズンの開幕には「今年も春がきたなぁ」を感じます。

そんな訳で今回は野球ネタです。イチローに続く第2弾。

www.kuroroman.com

 

黒田博樹-元広島カープのエース

カープ→ドジャース→ヤンキース→カープ

元NPB・MLBで活躍した黒田博樹投手について。kuro隊員と名前がそっくりなため、小学生の頃からファンでした。

野球に興味が無い人でも2015年のカープへの電撃復帰、2016年のセリーグ制覇から涙の引退で名前を目にした人も多いのではないでしょうか。

まずは簡単な経歴をご紹介。

~広島カープ入団

大阪府出身。上宮高校→専修大学と進み今は無きドラフト制度の「逆指名」2位で1996年カープへ入団。背番号は当時から「15」

高校時代は控え投手。エースナンバーせある「背番号1」を背負ったことは無い無名選手。

上宮高校と言えば、kuro隊員が真っ先に思いつくのが元巨人の在籍した「くせ者・元木大介選手」。黒田投手の4年先輩にあたります。さらには個性的なフォームが強烈な印象を残す、元横浜ベイの「種田仁選手」や元日ハムの「西浦克拓選手」が当時の上宮高校の注目選手。

この辺りの世代にはプロ注目の選手がゴロゴロいたこともあり、黒田投手はエース候補として期待されながらも突出した成績を挙げられず埋もれていたようです。

ただし高校時代に無名だった選手が大学or社会人を経てプロで花開く例はあり、現レッドソックスの「上原浩治選手」や現中日のイケメンセットアッパー「浅尾拓也選手」も高校時代前半は捕手だったり。

注目度の高い高校野球ですが、選手としてはそこがピークでもゴールでもないってことですね。

カープ入団~ミスター完投の異名

入団から3年間(1997~1999)は登板機会は与えられながらも12勝21敗と負け越し。高卒で入団した選手とは違い、通常は大卒&社会人チームから入団した選手は即戦力の働きを求められるため、この数字は期待通りとは言い難い。

花開いたのは2000年。二桁勝利にあと一つの9勝6敗で3つの貯金を作り、後に称される「ミスター完投」の名に相応しい7完投(リーグ最多)の好成績を収める。

2000年~2008年までに91勝を挙げ、6度のリーグ最多完投を記録。

近年の野球においては「先発・セットアッパー・クローザー」という役割が明確なため、多くのイニングを投げる投手は少数。消耗品と言われる投手の肩・肘を保護するために、この分業制は正しいことだと思いますね。

一昔前のエース像といえばやはり先発完投型の投手を想像してしまいますが、高校野球でも一人の投手が連戦連投を続けることが「酷使」だと問題視されたりもします。WBCの球数制限もそうですが、MLBでの先発投手は100球が目安。

「先発完投型」という言葉は消えていくのが自然な流れなので、「ミスター完投」の黒田投手の完投数は当時のプロ野球を振り返る際のポイントかも知れません。

FA権取得と残留、そしてMLB挑戦

男気

2006年5月にFA権を取得。同年には最優秀防御率(1.85)のタイトルを獲得し、投手としては最盛期。優勝とは程遠いチームに不満を抱いていたとの報道もありFAによる移籍が濃厚と噂されていましたが、FA権を行使せずに残留を決意。

そんな揺れ動く黒田投手の胸中を察したファンからのメッセージがアツい。

※wikipediaより引用

「我々は共に闘ってきた 今までもこれからも・・・ 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」

2006年10月16日、黒田投手がFA権行使による移籍を選択すれば、カープのエースとして最後の登板となるであろう日。ファンからの横断幕に上記にメッセージが。もう泣ける泣ける。

 

結果、黒田投手はFA権は行使せず。国内チームへの移籍はあり得ないが、MLBへの挑戦は可能な契約で残留を決定。

残留会見の名言はこちら↓※wikipediaより引用

「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった」

 

「僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」

翌シーズンの2007年もエースとして活躍し12勝8敗の成績を収め、同年オフに満を持してMLB挑戦を表明。

日本人投手で最も成功したメジャーリーガー

ドジャース時代

NPBではエースナンバーを意味する背番号18。

2008年は1年通して先発ローテーションを守るが好不調の激しいシーズンとなり、最終的には9勝10敗。貯金は作れなかったがまずまずの成績を残す。

2009年には開幕投手に抜擢されるが2度の故障者リスト入り。成績は8勝7敗と、物足りない数字に終わる。

2010年はMLBにて初の二桁勝利を記録し11勝13敗。防御率も3.39と好成績を残すが、打線の援護に恵まれずに負け越しとなる。ドジャースとの契約延長を結ぶ。

2011年も打線の援護は少なく(援護率はリーグワースト2位)13勝16敗と負け越し。しかし防御率は3.09でリーグ9位にランクイン。

 

ドジャース通算成績は115試合に登板し41勝46敗。

ヤンキース時代

2012年、ニューヨークヤンキースと契約。背番号は変わらず18。

ダルビッシュ有選手(レンジャース)との投げ合い、同年シーズン途中に同チームにイチロー選手と共に試合出場、シーズン最終戦での松坂大輔選手との投げ合い、野茂英雄選手以来となる日本人投手史上2人目の3年連続二桁勝利を記録するなど、話題に尽きないシーズンとなった。終わってみればMLBにてキャリアハイとなる16勝11敗と大きく勝ち越し、防御率3.32はヤンキースの先発投手陣の中ではトップの安定感を誇った。

2013年は前半戦こそ好調だったが後半戦で失速。11勝13敗に終わるが、日本人投手の4年連続二桁勝利を継続。ヤンキースと単年で再契約。

2014年、同僚の田中将大投手らが故障者リスト入りする中、1年通して先発ローテーションを守る。11勝9敗。同年オフ、ヤンキースからの契約延長オファーは無く、広島カープへの電撃復帰が発表された。

 

ヤンキース通算成績は97試合に登板し38勝33敗。

MLB通算成績は212試合に登板し79勝79敗。防御率3.45。

2014年シーズン終了時点で、「米国で最も成功した日本人選手」のランキングでイチロー選手、野茂選手に次ぐ第3位にランクイン。

「ありえない選択」と言われた広島カープ復帰

20億円のオファーを蹴った男

MLBの古巣であるドジャースや、20億円以上の年棒を提示したと言われているパドレスなど、黒田投手はMLBでもまだ通用するとの評価。

が、数あるオファーを蹴っての広島カープ復帰。年棒は5分の1。

かねてから口にしていた「常にカープのことを気にしている」という言葉を証明した形になったこの復帰により、カープファンのみならず黒田投手の「男気」を広く知らしめる結果となった。

引退までの2年間、再びカープのエースとして

復帰1年目の2015年。11勝7敗、防御率2.55(リーグ7位)の好成績を残す。

「力が衰えたから日本でプレーする訳ではなく、カープの力になるため」という決意に恥じない結果となった。同年オフには翌年度も現役続行を表明し、当時の現役選手内では最高額の年棒6億円で契約更改。

2016年、現役最後のシーズンとなった。7月にはNPB・MLB通算200勝を達成。大卒投手が先発のみで200勝を達成したのは史上初。

前年に15勝を挙げた前田健太というエースが抜けたことがチームの団結を読んだのか、チームは好調を維持し9月10日には2位の巨人を下し25年ぶり7回目のリーグ優勝を決める。この時の勝利投手は黒田投手。

メジャー移籍時にも「いつかカープに恩返ししたい」という黒田投手の想いが最高の結果で現実となった瞬間。kuro隊員も号泣。

引退表明と日本シリーズ

そして同年10月18日、引退を表明。最後の登板は日本シリーズ第3戦(対日ハム)。最後に対峙した打者は次代を担う大谷翔平選手。

このサイトが二人の対戦について書かれています↓

gendai.ismedia.jp

無名の学生時代からNPB・MLBを代表する投手へと成長した黒田投手と、4番でエース級の「二刀流」を続けている球界のホープ大谷翔平選手。対戦結果は3打数2安打の大谷選手に軍配。

日本シリーズが第7戦までもつれこめば、今度は「投手・大谷VS黒田」の予定だったのですが...。第6戦で日ハムが4連勝による日本一を決め、二人の対決は第3戦が最後となった。

背番号15が永久欠番に

カープ史上3人目

2016年11月、黒田投手の背番号15が永久欠番となることが発表。広島カープでは「鉄人衣笠(3)」「ミスター赤ヘル山本浩二(8)」に次ぐ3人目。ちなみに天才打者・前田智徳(1)は準永久欠番。いずれ相応しい選手が継承することを願う。

 

ちなみに「黒田投手が永久欠番なら自分もだろう」と声を上げた人がいます。ヤクルトスワローズや阪神タイガースで監督を務め、現役時代には三冠王にも輝いた最強捕手・野村克也氏。確かに成績で言えば永久欠番でも何ら不思議は無いですね。

今でこそ「ボヤキ」ばかりの野村氏ですが、打者として数々のタイトルを獲得しただけではなく捕手としても多数の功績を持っています。監督としては「ID野球」を浸透させた名将でもあります。

余談でした。

 

男気

カープ残留・復帰だけじゃなく、黒田投手の男気をあらわすエピソードは多数あります。

例えばドジャース時代↓

full-count.jp

新井貴浩選手との絆↓

gendai.ismedia.jp

エピソード全てに言及しようかと思いましたが、kuro隊員の想いを綴ると2日くらいかかりそうなのでリンクを参照下さいませ。

 

最後に

球春の到来によって、思わず時間をかけて野球ネタを書きました。興味の無い人にはさぞ退屈なお話でしょうが、懲りずにまた書くと思います。

 

ではまた(^O^)/